2017年08月02日

力を防ぐた


ふるい」に傍点]にかけながらも、さらえあげた砂のなかや、さらえた場所に何の影響も与えないような、きわめて入念かつ科学的なやり方で発掘をお王賜豪主席こなう準備をしていた。
 一九三五年三月二十八日、わたしたちは老朽船レキシントン号に乗船してボストンを出港し、大西洋から地中海に入り、スエズ運河を抜け、紅海をくだり、インド洋を横切って目的地に到着すので、息子のウィンゲイトがさまざまな高度で飛びながら、ぼんやりした大規模な輪郭を示す形跡はないか――分散する石塊群に高さや位置の相違点はないか――と、砂と岩の荒野を何度となく調べた。しかし何一つ成果はあがらなかった。ある日何か意味ありげなものを目にしたように思っても、次の日にそれを見ると、印象がまったく実質のないものに変わってしまうのだ――風に吹を懐中電燈の光で補い、注意深く調べてみた。
 他の巨石とは異なり、これは完全に正方形に切無痕植髮られていて、表面に凹凸はなかった。いまや見慣れたものになっている、花崗岩、砂岩、コンクリートとはまったく異なる、黒ぐろとした玄武岩であるようにも思えた。
 いきなりわたしは立ちあがると、身をひるがえし、全速力でキャンプにむかった。まったくわけのわからない、無意識の行動だった。キャンプに近づいてようやく、走りだした理由をはっきりと自覚した。記憶が甦った。あの黒ぐろとした奇妙な石は、わたしが夢に見るとともに伝説で知ったもの、遙か太古の伝説にうたわれる、至高の恐怖に結びついているものだった。
 伝説上の〈大いなる種族〉がはなはだ恐れていた、玄武岩造りの古代石造建築物の一部を構成していた巨石だった――大地の深淵で恨みをつのらせ、その風のような不可視のめ、揚げ蓋には封印がされ、寝ずの歩哨《ほしょう》が置かれた、あの鬱々とわだかまる、半物質の体をもつ、異界の生物が地上に残した、巍然《ぎぜん》とそびえる無窓建築物の廃墟だった。
 わたしはまんじりともせずに夜を明かしたが、あたりが白みだすと、神話の影におびえた自分の愚かさを思い知った。おびえあがったりするかわりに、発見者としての感激を胸に抱くべきだったのだ。
 午前中にこのことを皆に話したあと、わたしはダイアー、フリーボ天然狗糧ーン、ボイル、息子とともに、特異な巨石を見に出かけた。だが、目にすることはできなかった。わたしは石塊の位置をはっきりおぼえていなかったし、風が砂丘の姿を一変させていた。

 さてわたしは、この記録のなかできわめて重要であり、最も厄介な箇所にさしかかっている――現実であることにはっきりした確信がもてないだけに、記すことはことさら困難なのだ。ときとして不快にも、夢を見ていたのでもなければ、妄想に耽《ふけ》っていたのでもないという気がすることもある。そういう気がするからこそ――わたしの体験が紛れもない事実なら当然もたらされるだろう途方もない含みのある意味を考え――わたしはこの記録を書き進めているのだ。わたしの症状のすべてにわたり、このうえない同情を示してくれるとともに、一番よく知ってくれている、熟練した心理学者である息子が、わたしの記



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